「御嶽宿」と「伏見宿」に息衝く「おもてなしの心」
江戸時代、東海道とならんで江戸と京都のあいだを結んだ中山道・・・。 「中山道六拾九次」とも呼ばれ、街道沿いには69箇所の宿場が設けられました。 ここ御嵩町には、江戸から数えて49番目の「御嶽宿(みたけじゅく)」と50番目の「伏見宿(ふしみじゅく)」が置かれ、 人や物資、情報や文化が往来する地域としてにぎわいましたが、 時代の流れとともに宿場はその役割を終え、かつてのような活気も過去のものとなりつつあります・・・。
しかし、中山道とともに脈々と受け継がれてきた「おもてなしの心」は、 今も昔もかわることなく「御嶽宿」と「伏見宿」に息衝いています。
現在、岐阜県から「まちづくり支援チーム」の派遣を受け、地域住民や活動団体、 地元高校生や大学生などが参画しておこなわれている「御嶽宿地域の再生」に向けたさまざまな取組みと、 伏見宿の今後の展開などを随時ご紹介していきます。